2016年 11月 1日
武蔵高等学校中学校は1922年、実業家・根津嘉一郎が「国家の繁栄は育英の道に淵源する」という信念のもと、日本初の私立七年制高等学校として創立された。
グローバル教育、アクティブラーニング、協働の学びといった教育改革に関する威勢のいい標語が飛び交う昨今だが、武蔵は100年近くも前からからすでにこれらをその「建学の精神」に掲げている。生徒ひとりひとりの知識や好奇心を大切に、じっくりと見守りながら育てる姿勢は、さまざまな分野の第一線で活躍する多くの逸材を輩出してきた。同校の梶取弘昌校長に学校生活や校風、大学入試改革に向けた展望を聞いた。
--学校生活でのようすについてお聞かせください。
武蔵は、大学と高校・中学が一緒になった広大な敷地内にあり、中央にすすぎ川という小川が流れる緑豊かな環境です。菜園があり、ヤギもいます。ヤギからは、「産まれ」「生き」「老いる」という「いのちの尊さ」について学びます。生徒にとってヤギは、どんな時でも餌をやりに来る大切な存在です。ヤギの存在が武蔵生の心を癒しているとも言えます。
授業では、「本物を見せる」ことにこだわっています。中学1年生の理科の授業では、地学の教師が生徒に5~6時間かけて、岩石の薄片づくりをさせます。各々が顕微鏡で観察し、レポートにまとめます。ビデオを見せれば1時間で終わらせることもできるのですが、武蔵ではこのような無駄に見えることにこだわります。各々が手を動かすことによって学び、感じ取れるものがあるのです。
このように、武蔵では、答えを得ることを目的とせず、「考える」ことを大切にした教育を行っています。知識を授けるだけなら学校はいりません。知識だけならネットで拾えます。学校では生徒と教師のコミュニケーションを大切にします。知識があることは大切ですが、その知識をもとに、生徒と教師がどうつながるかです。授業は教師が生徒と一緒に作り上げるものです。教師は生徒に自分の専門をぶつけ、考えさせます。常に「ワクワクするような」授業をしてほしいと先生方にはお願いしています。
また、グローバルという点では、武蔵は極めて先駆的です。「建学の精神」にある「東西文化融合」、「世界に雄飛」を目指しています。「建学の精神」は、「『世界』とつながる」、「多様性を育む」と私は読み替えていますが。「世界」とは自己を取り巻く環境、他者のすべてです。英語に加え、ドイツ語、フランス語、中国語、韓国朝鮮語の4言語から、中学3年生では全員がいずれかの言語を選択し、高校では希望者が中級、上級と進みます。
国外研修制度では、各言語の上級選択者から10数名が、2か月ほど提携校に通います。派遣先はドイツ、オーストリア、フランス、イギリス、中国、韓国の6か国10数校に及びます。また提携校からも毎年10数名の留学生が来日して、生徒の家庭にホームステイし、国際交流を深めています。国外研修制度とは別に、英国のパブリックスクールの名門、モルヴァン校との提携も行っています。
国外研修のやり方はとても大胆で、生徒たちをほっぽり出す感じです(笑)。確かにさまざまな不安や困難に直面するでしょう。けれども彼らはそれを乗り越え、言葉では尽くせない溢れる思いや感動を得て大きく成長します。そして彼らが帰国すると、ほかの生徒たちも大いに刺激を受けます。後に続く後輩たちに「行って後悔することはない」と話しています。ここにも「本物を見せる」ことへのこだわりがあり、そのことにより、生徒たちのはかり知れない学びが生まれます。
--武蔵の校風について、どのように表現できますか。
「自由」な校風です。ただし、私服であり、茶髪やピアスがOKであることが「自由」であると言われたりしますが、武蔵の「自由」はそこではありません。
生徒と教師、あるいは生徒同士であらゆる考え方を認めあえる。答えはひとつとは限らないし、解き方や考え方は無数にあるはずです。生徒が「先生、違います」と言えること。教師は生徒たちの思考を邪魔しないで育てること。枠組みを作れば、優等生は量産されるかもしれませんが、それは生徒の思考を奪うことと同義です。まったく反対の相手の立場を認めながら自分の意見もちゃんと言える雰囲気があり、これが武蔵の「自由」な校風です。
武蔵では20年先、30年先を見据えた教育をしたいと思っています。教育は木を育てるのと一緒で、教育は土壌づくりです。子どもたちは何かしら種を持っています。どんな種かは6年くらいではわからない。東大でも京大でも進学する大学はどこでもいいのです。それはあくまでも過程であってそこで何をするか、自分で試行錯誤していくことが大切です。失敗も次の成功のための一歩と捉え、認めてやる懐の深さも武蔵の伝統的な校風だと思います。
--学校行事などで、もっとも武蔵らしさを感じる行事は何ですか。
記念祭、体育祭、強歩大会、が3大行事です。また、校外学習として中学1年生では夏に群馬県赤城山の大沼湖畔にある赤城青山寮で3泊4日をかけて登山や自然観察する「山上学校」や、冬には箱根で「地学巡検」、中学2年生では千葉県勝浦市の鵜原で4日間の水泳訓練を行う「海浜学校」、中学3年生では「天文実習」があります。
強歩大会では、夏休みにスタッフの生徒と体育科の教師が実際に歩き、コースを選定します。教師にとっては、毎年同じコースを歩いてほしいのが本音ですが、生徒たちは去年と同じことはやりたくない。生徒は最後に配る景品を今年は何にするか、菓子パンならメロンパンか、アンパンか、そしてその按分はどうするかなど、大人からするとどうでもいいようなことを真面目に考え、予想通りきれいにパンが捌けた時には大喜びです(笑)。
大抵、どの行事でも、詰めが甘く幾つか失敗することもあります。大人が最初から介入していれば無駄なくできたのに、という見方も確かにあります。完成度も高いとは言えないかもしれない。でも、生徒の思いをちゃんと拾っていきたいと思いますね。
先日ノーベル医学生理学賞で注目を浴びた「オートファジー」ですが、東工大栄誉教授の大隅先生が受賞なさいました。東大医学部教授の水島昇さんも共同受賞かと期待していたのですが、残念でした。水島さんは武蔵の卒業生で、大隅先生と並んでオートファジー研究の第一人者です。大隅先生は「歴史を振り返ると、『役に立った研究』はすべて『役に立たない研究』の上に成り立っている」と言っています。水島さんも同じ考えです。
2010年に話題になった小惑星探査機「はやぶさ」のイオンエンジンの開発リーダーの一人だったJAXAの國中均さんも武蔵出身です。國中さんは使う可能性が1%にも満たない回路をロケットに搭載し、結果的にそれが奇跡の帰還を可能にしました。考えられることは徹底的にやり尽くす、という信念だったそうです。
この先輩方の偉業に垣間見られるように、武蔵らしさは、無駄を無駄だと決めつけないことです。無駄って誰が無駄って決めるのか、と思います。無駄に思えても、実は大事なこともある。だから、いろんなことで頑張っている生徒たちを応援したい。心からそう思っています。
--現状の日本の教育の問題点は何でしょう。
教育行政は振り子のようで、「ゆとり」と「詰め込み」の間を行ったり来たりしています。問題は、大人の都合で子どもが振り回されていることです。
今、国は、教育の分野でも、短期で結果が出るものにお金を出します。そして数値など、客観的データを使ったエビデンス(証拠)を求めます。親も子も、じっくりと考えることよりも、東大に入れる、甲子園へ行けるなどと謳った「パッケージ教育」を好み、費用対効果で教育を捉える風潮が蔓延しています。
日本という国が成熟化し、国力の減退を防ぐためにも世界で戦える人材を作ろうなどといろいろな人が言っていますが、子どもたちは「材料」ではなく、国の「宝」です。数値化された、短期的な成果を求めるのではなくて、何年やっても成果が出ないかもしれないようなものにも目を向ける。そこに教育の本質があるのではないでしょうか。エビデンスが出ないものを無駄だと切り捨てていくことは、まさにノーベル賞受賞で評価されている日本の「基礎研究」の部分を侮ることにもなります。
確かに大学入試改革は必要です。しかし中身を見れば、都会の進学校には追い風かもしれないが、ますます教育格差が広がる危険性をはらんでいます。東大には裕福な家庭の子どもしか行けなくなる、これが日本全国の高校生にとってより良い教育環境と言えるのか。この問題は、経済格差の問題にまで行き着くと思います。家庭の経済力にかかわらず、学びたい学生が学べる社会にしていく、そのためには我々国民ひとりひとりが教育について当事者意識を持ち、行政に関心を持つ必要があると思います。
--生徒にどのような成長を期待されますか。
分野も大学も問いません。自分で自分の道を見つけてほしいです。今ある職業がなくなっているかもしれない時代に、生き残れる力を持っていてほしい。そのためには、「建学の精神」のひとつである「自ら調べ自ら考える力ある人物」であってほしいと思います。そして、命にかかわらないなら失敗や挫折はたくさん経験すればいい。無駄な経験は無駄ではありません。自分を壊し、創ることを繰り返すのです。壊すことを怖がっていては何も始まりません。壊すこととは自分を相対化すること、客観視することです。より豊かな将来の選択ができるよう、枠を決めず、さまざまな経験を積み重ねていってほしいですね。我々はその成長の過程を大切に見守っていますから。
--先生の座右の銘を教えてください。
「地道継続」でしょうか。武蔵も伝統にしがみついているだけではダメになる。生物学者の福岡伸一さんの著作に「動的平衡」がありますが、その言葉を借りると「教育の中の動的平衡」を目指したいと考えています。つまり変わらないために変わり続けなければならないと思っています。そのためには何を守り、何を変えていくのか。私も日々、コツコツと地道に学び続けていかなければならないと思っています。
--ありがとうございました。
梶取校長の声の向こうに、絶えず鳥のさえずりが聞こえる。武蔵は、教育の本質について改めて思いを巡らし、沈思黙考できる場所であった。水島氏、國中氏はじめ、現東大総長の五神真氏、現東工大学長の三島良直氏も武蔵で学び、巣立っている。
彼らこそが、武蔵流の教育のエビデンスだ。今、教育改革が目指そうとしているものは、昔からここに存在していたのである。
グローバル教育、アクティブラーニング、協働の学びといった教育改革に関する威勢のいい標語が飛び交う昨今だが、武蔵は100年近くも前からからすでにこれらをその「建学の精神」に掲げている。生徒ひとりひとりの知識や好奇心を大切に、じっくりと見守りながら育てる姿勢は、さまざまな分野の第一線で活躍する多くの逸材を輩出してきた。同校の梶取弘昌校長に学校生活や校風、大学入試改革に向けた展望を聞いた。
--学校生活でのようすについてお聞かせください。
武蔵は、大学と高校・中学が一緒になった広大な敷地内にあり、中央にすすぎ川という小川が流れる緑豊かな環境です。菜園があり、ヤギもいます。ヤギからは、「産まれ」「生き」「老いる」という「いのちの尊さ」について学びます。生徒にとってヤギは、どんな時でも餌をやりに来る大切な存在です。ヤギの存在が武蔵生の心を癒しているとも言えます。
授業では、「本物を見せる」ことにこだわっています。中学1年生の理科の授業では、地学の教師が生徒に5~6時間かけて、岩石の薄片づくりをさせます。各々が顕微鏡で観察し、レポートにまとめます。ビデオを見せれば1時間で終わらせることもできるのですが、武蔵ではこのような無駄に見えることにこだわります。各々が手を動かすことによって学び、感じ取れるものがあるのです。
このように、武蔵では、答えを得ることを目的とせず、「考える」ことを大切にした教育を行っています。知識を授けるだけなら学校はいりません。知識だけならネットで拾えます。学校では生徒と教師のコミュニケーションを大切にします。知識があることは大切ですが、その知識をもとに、生徒と教師がどうつながるかです。授業は教師が生徒と一緒に作り上げるものです。教師は生徒に自分の専門をぶつけ、考えさせます。常に「ワクワクするような」授業をしてほしいと先生方にはお願いしています。
また、グローバルという点では、武蔵は極めて先駆的です。「建学の精神」にある「東西文化融合」、「世界に雄飛」を目指しています。「建学の精神」は、「『世界』とつながる」、「多様性を育む」と私は読み替えていますが。「世界」とは自己を取り巻く環境、他者のすべてです。英語に加え、ドイツ語、フランス語、中国語、韓国朝鮮語の4言語から、中学3年生では全員がいずれかの言語を選択し、高校では希望者が中級、上級と進みます。
国外研修制度では、各言語の上級選択者から10数名が、2か月ほど提携校に通います。派遣先はドイツ、オーストリア、フランス、イギリス、中国、韓国の6か国10数校に及びます。また提携校からも毎年10数名の留学生が来日して、生徒の家庭にホームステイし、国際交流を深めています。国外研修制度とは別に、英国のパブリックスクールの名門、モルヴァン校との提携も行っています。
国外研修のやり方はとても大胆で、生徒たちをほっぽり出す感じです(笑)。確かにさまざまな不安や困難に直面するでしょう。けれども彼らはそれを乗り越え、言葉では尽くせない溢れる思いや感動を得て大きく成長します。そして彼らが帰国すると、ほかの生徒たちも大いに刺激を受けます。後に続く後輩たちに「行って後悔することはない」と話しています。ここにも「本物を見せる」ことへのこだわりがあり、そのことにより、生徒たちのはかり知れない学びが生まれます。
--武蔵の校風について、どのように表現できますか。
「自由」な校風です。ただし、私服であり、茶髪やピアスがOKであることが「自由」であると言われたりしますが、武蔵の「自由」はそこではありません。
生徒と教師、あるいは生徒同士であらゆる考え方を認めあえる。答えはひとつとは限らないし、解き方や考え方は無数にあるはずです。生徒が「先生、違います」と言えること。教師は生徒たちの思考を邪魔しないで育てること。枠組みを作れば、優等生は量産されるかもしれませんが、それは生徒の思考を奪うことと同義です。まったく反対の相手の立場を認めながら自分の意見もちゃんと言える雰囲気があり、これが武蔵の「自由」な校風です。
武蔵では20年先、30年先を見据えた教育をしたいと思っています。教育は木を育てるのと一緒で、教育は土壌づくりです。子どもたちは何かしら種を持っています。どんな種かは6年くらいではわからない。東大でも京大でも進学する大学はどこでもいいのです。それはあくまでも過程であってそこで何をするか、自分で試行錯誤していくことが大切です。失敗も次の成功のための一歩と捉え、認めてやる懐の深さも武蔵の伝統的な校風だと思います。
--学校行事などで、もっとも武蔵らしさを感じる行事は何ですか。
記念祭、体育祭、強歩大会、が3大行事です。また、校外学習として中学1年生では夏に群馬県赤城山の大沼湖畔にある赤城青山寮で3泊4日をかけて登山や自然観察する「山上学校」や、冬には箱根で「地学巡検」、中学2年生では千葉県勝浦市の鵜原で4日間の水泳訓練を行う「海浜学校」、中学3年生では「天文実習」があります。
強歩大会では、夏休みにスタッフの生徒と体育科の教師が実際に歩き、コースを選定します。教師にとっては、毎年同じコースを歩いてほしいのが本音ですが、生徒たちは去年と同じことはやりたくない。生徒は最後に配る景品を今年は何にするか、菓子パンならメロンパンか、アンパンか、そしてその按分はどうするかなど、大人からするとどうでもいいようなことを真面目に考え、予想通りきれいにパンが捌けた時には大喜びです(笑)。
大抵、どの行事でも、詰めが甘く幾つか失敗することもあります。大人が最初から介入していれば無駄なくできたのに、という見方も確かにあります。完成度も高いとは言えないかもしれない。でも、生徒の思いをちゃんと拾っていきたいと思いますね。
先日ノーベル医学生理学賞で注目を浴びた「オートファジー」ですが、東工大栄誉教授の大隅先生が受賞なさいました。東大医学部教授の水島昇さんも共同受賞かと期待していたのですが、残念でした。水島さんは武蔵の卒業生で、大隅先生と並んでオートファジー研究の第一人者です。大隅先生は「歴史を振り返ると、『役に立った研究』はすべて『役に立たない研究』の上に成り立っている」と言っています。水島さんも同じ考えです。
2010年に話題になった小惑星探査機「はやぶさ」のイオンエンジンの開発リーダーの一人だったJAXAの國中均さんも武蔵出身です。國中さんは使う可能性が1%にも満たない回路をロケットに搭載し、結果的にそれが奇跡の帰還を可能にしました。考えられることは徹底的にやり尽くす、という信念だったそうです。
この先輩方の偉業に垣間見られるように、武蔵らしさは、無駄を無駄だと決めつけないことです。無駄って誰が無駄って決めるのか、と思います。無駄に思えても、実は大事なこともある。だから、いろんなことで頑張っている生徒たちを応援したい。心からそう思っています。
--現状の日本の教育の問題点は何でしょう。
教育行政は振り子のようで、「ゆとり」と「詰め込み」の間を行ったり来たりしています。問題は、大人の都合で子どもが振り回されていることです。
今、国は、教育の分野でも、短期で結果が出るものにお金を出します。そして数値など、客観的データを使ったエビデンス(証拠)を求めます。親も子も、じっくりと考えることよりも、東大に入れる、甲子園へ行けるなどと謳った「パッケージ教育」を好み、費用対効果で教育を捉える風潮が蔓延しています。
日本という国が成熟化し、国力の減退を防ぐためにも世界で戦える人材を作ろうなどといろいろな人が言っていますが、子どもたちは「材料」ではなく、国の「宝」です。数値化された、短期的な成果を求めるのではなくて、何年やっても成果が出ないかもしれないようなものにも目を向ける。そこに教育の本質があるのではないでしょうか。エビデンスが出ないものを無駄だと切り捨てていくことは、まさにノーベル賞受賞で評価されている日本の「基礎研究」の部分を侮ることにもなります。
確かに大学入試改革は必要です。しかし中身を見れば、都会の進学校には追い風かもしれないが、ますます教育格差が広がる危険性をはらんでいます。東大には裕福な家庭の子どもしか行けなくなる、これが日本全国の高校生にとってより良い教育環境と言えるのか。この問題は、経済格差の問題にまで行き着くと思います。家庭の経済力にかかわらず、学びたい学生が学べる社会にしていく、そのためには我々国民ひとりひとりが教育について当事者意識を持ち、行政に関心を持つ必要があると思います。
--生徒にどのような成長を期待されますか。
分野も大学も問いません。自分で自分の道を見つけてほしいです。今ある職業がなくなっているかもしれない時代に、生き残れる力を持っていてほしい。そのためには、「建学の精神」のひとつである「自ら調べ自ら考える力ある人物」であってほしいと思います。そして、命にかかわらないなら失敗や挫折はたくさん経験すればいい。無駄な経験は無駄ではありません。自分を壊し、創ることを繰り返すのです。壊すことを怖がっていては何も始まりません。壊すこととは自分を相対化すること、客観視することです。より豊かな将来の選択ができるよう、枠を決めず、さまざまな経験を積み重ねていってほしいですね。我々はその成長の過程を大切に見守っていますから。
--先生の座右の銘を教えてください。
「地道継続」でしょうか。武蔵も伝統にしがみついているだけではダメになる。生物学者の福岡伸一さんの著作に「動的平衡」がありますが、その言葉を借りると「教育の中の動的平衡」を目指したいと考えています。つまり変わらないために変わり続けなければならないと思っています。そのためには何を守り、何を変えていくのか。私も日々、コツコツと地道に学び続けていかなければならないと思っています。
--ありがとうございました。
梶取校長の声の向こうに、絶えず鳥のさえずりが聞こえる。武蔵は、教育の本質について改めて思いを巡らし、沈思黙考できる場所であった。水島氏、國中氏はじめ、現東大総長の五神真氏、現東工大学長の三島良直氏も武蔵で学び、巣立っている。
彼らこそが、武蔵流の教育のエビデンスだ。今、教育改革が目指そうとしているものは、昔からここに存在していたのである。