東大よりプリンストン 渋幕・渋渋、国際人の育て方

 

 東京大学など難関大学の進学実績を急速に伸ばしている渋谷教育学園幕張中学・高校(渋幕、千葉市)と同渋谷中学高等学校(渋渋、東京・渋谷)。両校とも新興の中高一貫の共学校だが、2016年の東大合格者は合計で100人を突破した。しかもハーバード大学やプリンストン大学など米名門大学の合格者数も全国トップクラス。両校の創始者で校長も兼任する田村哲夫氏は、東大卒の銀行マンだったが、定時制が主体だった都内の女子校を継承し、わずか30年余りで全国有数の進学校に飛躍させた。

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 「先日、プリンストン大学に通っているうちの卒業生が話していましたが、日本の高校からこの大学に進学した大半の学生は渋幕か渋渋のOB・OG(または出身)だそうです」。田村校長はこううれしそうに話す。

 16年の東大合格者は渋幕が76人、渋渋が30人。その2年前の14年は渋幕48人、渋渋14人だった。「渋谷教育学園両校は、ここ数年で最も躍進した首都圏の進学校。新興の共学校では最強だ」と大手塾関係者は口をそろえる。聖光学院高校を神奈川県トップの進学校に押し上げた工藤誠一校長も「しっかりしたリーダーによる学校経営を実践している」という。ライバル校からの評価も高い。

 1学年の生徒数は渋幕が340人前後、渋渋が200人前後だから、対卒業生の東大合格比率は15%~20%強になる。ただ筑波大学付属駒場高校、灘高校、開成高校の東大合格トップ3の比率40~50%には及ばない。渋谷教育学園両校の真骨頂は、米国中心に海外の有力大学に多くの合格者を輩出していることだ。16年は渋渋が39校、渋幕が28校の海外大学に合格、国内の高校では圧倒的な実績だ。

 

 

■プリンストン大やコロンビア大、イェール大……

 

渋谷教育学園渋谷中学高等学校は渋谷と原宿の間に位置する

 東京の若者の街、渋谷と原宿の間にある渋渋。その職員室前の廊下の壁には、プリンストン大学やコロンビア大学、イェール大学など米名門大のペナントが所狭しと貼られている。帰国した卒業生らが持ち寄ってくるという。ハーバード大に合格しながら、プリンストン大に進学した卒業生もいる。なぜ渋谷教育学園から多くの学生が米国の有力大学に進学しているのか。

 

 田村校長は「東大もいいんですが、若いときに最低1年は米国等に留学した方がいい」と強調する。その理由を「米国はある意味で、日本以上に学歴社会だ。名門大の同窓生との人脈が後々にビジネスでも効果を発揮する。中国や韓国などアジアのエリートも米国に留学する人が多い。グローバル社会でリーダーになるには米国留学は武器になる」と語る。

 

 もともと田村校長は、麻布高校から東大法学部に進学し、1958年に住友銀行(現在の三井住友銀行)に入行した銀行マンだった。海外赴任を目指し、外国為替部門に配属された。しかし、父親が経営に携わっていた渋谷女子校(当時)から手伝ってほしいと懇願され、3年余りで銀行を辞めた。色々な問題も抱えており、進学校とはほど遠い存在だった。過半が定時制に通う生徒だが、昼間部の生徒は勉強熱心とはいえなかった。しかし、定時制の生徒は違った。大半が准看護師だったが、学習意欲が極めて高かったという。定時制の教師は慢性的に不足しており、田村氏は教師として様々な担当科目を受け持った。東大卒のエリート銀行マンはこのとき、教育者として開眼した。

 「昨年、ノーベル賞を受賞した大村智先生は私と同年配だが、定時制高校の教師をやっていた時期があるそうです。一生懸命勉強する生徒たちに触発され、『俺もやらねば』と決意し、大きな研究成果を上げていった。私も同じ気持ちになった」。田村校長はこう話す。30歳代で校長に就任、「全国でも最も若い校長」と呼ばれ、教育向上にまい進した。国内初の情報処理学科もつくった。同校のレベルは徐々に上昇した。だが田村校長の描く理想の学校をつくるのは難しかった。

 

 都内には伝統校や名門校がひしめいている。そこに好機が到来した。1980年代を迎えるころ、第2次ベビーブームによる生徒の増加で首都圏に新規校を開設するチャンスが来た。選んだのは「幕張新都心」として都市開発がスタートした千葉市湾岸部。こうして83年に誕生したのが渋幕だ。

 

 

■秘密兵器は中高6年間の「シラバス」

渋谷教育学園理事長 田村哲夫氏

 

  渋幕で教育目標に掲げたのが自ら調べ考える「自調自考」、国際人育成、高い倫理感の確立――の3つだ。似たような教育理念を打ち出す学校は少なくないが、渋幕はこれを見事に実践した。その秘密兵器が「シラバス」と呼ばれる中高6年間の授業計画を詳細に書き込んだ分厚い本だ。

 

 この本を開くと、例えば中2の1学期に何を学ぶのか、どこに学ぶ意味があり、どう発展させていくのかが、詳しく書き込まれている。数学も6年間の間にどのように体系的に学ぶのか、文字通り設計図のように描かれている。生徒はこのシラバスを参考に、自分で考えて積極的に学習プランを構成できるのだ。生徒の自主性を尊重しているため、授業前、後もチャイムは鳴らない。

 

 シラバスは大学では当たり前のように作成されているが、「中高で本格的に導入しているのはウチぐらいではないでしょうか」と田村校長は話す。「教師がシラバスを作成するのは大変な労力が必要。しかもこれだけの授業をすることを生徒や保護者と約束するわけだから、責任も重い。まず普通の教師は反対する」という。だが、田村校長は強力なリーダーシップを発揮して教師たちを説得し、シラバスを導入した。この結果、教師も教科書通りではない「自調自考」の独自の授業を追求し始めた。田村校長は校内研修を実施し、校外研修にも教師を積極的に送り出している。

 国際人育成の環境も整えてきた。渋幕には10人以上の外国人教師がいるが、実は米国大学の進学指導を専門とする教師もいる。「日本の大学とは違い、米国の大学は中学時代の成績や成果などの書類を求めてくるケースが多い。その作成には専門的な知識やノウハウが必要だが、渋幕と渋渋には専任の外国人教師を置いている」(田村校長)という。帰国子女の受け入れにも積極的で、1割程度が海外の小学校などを出た生徒だ。しかし、実際に留学を望むのは、帰国子女から影響を受け、「自分も海外に行ってみたいという生徒が多い」。中学校内のフロアの書棚にも英語の絵本などが積み上げられ、自然と英語が飛び込んでくる環境づくりをしている。「最近では米国の大学に通う卒業生がウチに遊びに来て、後輩たちを誘うという好循環が生まれている」と田村校長は話す。

 

 もう一つの特徴が田村校長自らが担う「校長講話」だ。夏目漱石の「私の個人主義」などを題材に講義する。全盲で東大に初めて入学した社会学者の石川准氏(国連障害者権利委員)の著書なども活用、生徒たちの気づきを促し、倫理感の高い国際人を養成するのが狙いだ。

 1924年に開校した渋谷女子校が、96年に渋渋として生まれ変わってから20年。「勉強するのはあくまでも生徒自身です。教師に与えられた勉強ではなく、自ら調べて考えないと、勉強は楽しくないし、伸びないでしょ」。80歳となる田村校長だが、今も渋谷と幕張を往復する日々が続く。

 

(代慶達也)

 

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