東京大学合格者数ナンバーワンを誇る私立の雄、開成高校(東京・荒川)。だが、最近は、ライバル校や新興勢力の追い上げなどで、激しい競争にさらされている。そうした母校のために一肌脱ごうと立ち上がったのが、同校の卒業生、松本大・マネックス証券会長(52)だ。金融関係者のOB会をつくるなど、“開成愛”あふれる松本氏が、熱く語る母校、そしてその母校から受けた影響とは。
開成は高校からも入れますが、基本的には中高一貫の男子校です。私も中学受験で入りました。
学校が始まって早々、教室でみんなと弁当を食べていたら、背も高く、私たち中学1年生から見れば、顔つきも体つきも完全に大人の高校3年生が突然教室に入ってきて、いきなり「はしを置け!」と怒鳴るんです。変な人が入ってきたなという感じで見ていると、黒板をバーンとたたいて、「はしを置けと言っているんだ!」とまた怒鳴るわけです。
そして威勢よく、私たちに向かって、翌日から運動会の練習を始めるから、昼休みと放課後は校庭に集まるよう命令し、ヘラヘラして聞いていたら、また怒鳴る。最後に、「わかったか」と言うので、全員、緊張しながら「はい」と返事をしたら、「バカ野郎、返事は、『おう』だ」と。こんな感じで6年間が始まりました。
毎年5月中旬に開かれる開成の運動会は、中高合同で行う一大イベントで、中1から高3まで、クラスごとに縦割りにして8組に分け、戦います。
競技や応援の練習は、それぞれの組の高3の生徒が下級生を指導する形で、本番までの1カ月ちょっと、毎日、へとへとになるまでやります。種目は、騎馬戦や棒倒しなど激しい競技ばかりなので、当然、けが人も出る。ビリになった組の人は、いまだに、飲むと「お前ら、あのときビリだったな」と言われるほど、全員にとって思い出深いイベントです。
もちろん楽しいこともありましたが、上下関係の厳しさを学んだり、理不尽なことも色々とあったりもしました。ただ、社会に出れば、理不尽なことはいくらでもあります。後から振り返れば、運動会の練習は、社会性を身に付けるためのトレーニングの場だったのではないかと思います。
学校の成績はよかったほうですが、一生懸命勉強したという記憶はあまりありません。試験前に、勉強のできるクラスメートのノートを借り、それを読んで一夜漬けとか、要領よくやっていました。
逆に、悪いことをした記憶はたくさんあります。もう時効ですが、酒が好きで、中学のころから友達と飲んでいました。
中学時代、学校行事のスキー学校に参加した時は、「1週間も山にこもるなら、ウイスキーなしではやっていられないな」などと、おやじのような会話を友達として、ウイスキーを持参。ボトルのキャップを杯代わりにして、部屋で飲んでいたら、引率の先生に見つかり、大目玉をくらいました。たまたま同部屋で巻き込んでしまった生徒には申し訳ないことをしました。
高校時代は、開成のある西日暮里から山手線に乗って高田馬場に行き、早稲田大学の学生にまぎれて、店でよく飲んでいました。
たしなみ程度ですが、マージャンもやりました。ふだんは先生に見つからないよう、学校から離れたところでやるのですが、その日は、夏季講習の後で、疲れて歩くのが面倒だったため、校門近くの店で卓を囲んでいたら、先生が店に入ってきて、見つかってしまいました。ただ、その先生は、パトロールしていたというよりは、自分もやりに来た感じでした。生徒の手前、そんなそぶりは見せませんでしたが。
開成の生徒数は1学年で中学が300人、高校が400人ですが、私が在籍した6年間で、退学者は確か3人だけだったと思います。酒やマージャンで停学処分を受けたり、修学旅行で問題を起こしたり、色々な生徒がいましたが、最終的にはほぼ全員、卒業できました。
開成は、私の中では、むかし駅のキオスクで売っていたネット入りミカンのネットのイメージがあります。あのネットって、例えば、イガ栗やイガウニを代わりに入れることもできる。トゲはネットの外に飛び出ますが、本体は全部きちんとネットの中に収まります。これがもし紙袋だったら、トゲが袋を突き破って、袋が壊れ、中身も落ちてしまうでしょう。硬いプラスチックの容器だったら、トゲを切るか、殻を外さないと、全部入らない。
開成はまさにこのネットと同じ。多少、はみ出した生徒でも、先生は、そのはみ出した部分を尊重し、同時に、一番大切な価値観とかモラルとかいった部分はきちんと教え、指導してくれる。それが開成の素晴らしさであり、現在の私の生き方、仕事の仕方にも影響を与えていると思います。本当に感謝しています。
インタビュー/構成 猪瀬聖(ライター)
NIKKEI STYLE 12/6