日本航空やカネボウなど数多くの企業再生にかかわってきた、異能の経営コンサルタント、冨山和彦・経営共創基盤最高経営責任者(CEO、56)。出身校は、東京大学の合格率の高さで知られる筑波大学付属駒場中学・高校(筑駒、東京・世田谷)だ。異能は筑駒でどう育まれたのか、本人に語ってもらった。
高校2年の時に処女戯曲「アイと死をみつめて」を発表していた野田さんは、当時から、「高校演劇界に野田あり」と言われた有名人。筑駒でも、現役でありながらすでに伝説の人になっていました。
文化祭でも大人気。野田さんの演劇を鑑賞したいという人が学校の外からも押し掛け、整理券が配られるほど。私も中学1年の文化祭で鑑賞しましたが、衝撃を受けました。「高3になるとあんな芝居が創れるようになるんだ、すごいなあ」と。
で、みんな文化祭では野田さんのまねをして演劇をやりたがるのですが、いざやってみると野田さんの作品と似ても似つかない。そこで、改めて、野田さんのすごさを実感するわけです。
筑駒は、小学校ではみんな「神童」などと呼ばれた勉強のできる子たちが集まってくるので、勉強がちょっとくらいできても、それだけでは周りから尊敬されません。野田さんのように、何か一つの分野で飛び抜けた才能を発揮する人が注目を浴び、尊敬もされるのです。そんな雰囲気がありました。
だから卒業生も、大企業に入ってトップを目指すというよりは、自分の才覚で勝負できる学者や法律家、官僚になる人が多い。最近だと、人工知能(AI)関連のベンチャーの経営者になる人が目立ちます。
筑駒的な価値観で言うと、地位やお金など、世間から認めてもらうために働くのは、成功したとしても、オシャレじゃない。そんなのは、上昇志向さえ強ければ簡単に手に入れることができると考えるからです。言い方を変えれば、ガツガツしていないので、ガツガツ度勝負では勝てないと自覚しているともいえます。まあ、スノッブというか、社会に対し斜に構えているというか、それが良くも悪くも筑駒のカラーだと思います。
筑駒は中学受験で入る人が120人、高校受験で入ってくる人が40人、合わせて1学年160人です。そのうち3分の2ぐらいが東大に進学します。
先ほども述べたように、みんな小学生の時は神童なのですが、筑駒に入ると、周りも勉強ができるので、大半が「ただの人」になってしまいます。私は入学試験の成績が良く、最初は授業の成績もかなり上位のほうでした。ところが、中学3年くらいの時に、「オレって、ひょっとしたら普通かもしれない」と思い始めました。
それを強く感じたのは、数学の授業で、天才的にできる人との差を、思い知らされたことでした。
文系の科目は、答えが正しいかどうかは、かなり主観的で論争の余地がありますが、理系、特に数学は、正しいのか誤りなのか、はっきりしています。また、勉強量と成績が比例する科目というのがありますが、数学はいくら勉強しても、天才的にできる人には逆立ちしてもかなわない。すごく才能のある生徒は、授業中も先生の話など聞かずに、もっと難しい問題を勝手に解いて遊んだりしていました。そういう同級生を見て、自分は理系の世界ではトップになるのは無理だと思いました。
世間的には勉強ができても、筑駒では普通の人だということを自覚してからは、自分の存在意義をどう見いだすか、もがきました。出した答えが、課外活動でした。
特に力を入れたのが、音楽活動です。筑駒の音楽祭はレベルが高いことで有名ですが、私は中1から高3までの6年間、クラス対抗合唱コンクールでずっと指揮を務めました。
筑駒は裕福な家庭の子弟が多く、子供の時にピアノやバイオリンを習っていたという生徒も少なくありません。私もピアノを少し習っていたので、楽譜くらいは読めました。中1の時にクラスの互選で指揮者に選ばれ、うまくクラスをまとめることができたからか、その後も毎年、指揮者に選ばれました。
わりと難しい組曲などもやりましたが、筑駒で指揮者に求められたのは、指揮の技術ではなく、練習計画をきちんと立て、素人集団を上手にまとめて練習させる能力でした。やる気のない生徒が多いので、何とかしてやる気を引き出し、練習まで持っていくのが、一苦労。しかし、頑張ったかいがあり、コンクールで優勝したこともありました。
スポーツにも打ちこみました。中学時代は野球部と卓球部を兼務。筑駒は生徒数が少ないので、団体競技は掛け持ちでやる人が結構いました。高校からは、当時、剣道部がけっこう強かったので、剣道部に入部。有段者の資格をとりました。
NIKKEI STYLE 2/14(火)