9/15(金)
私立武蔵高等学校中学校は東京都練馬区にある
■いまどきの進学塾とスポーツジムの共通点
受験勉強とはもともと、個々の受験生が自ら作戦を立て、自らを奮い起こして取り組むべきものであった。特に大学受験は、入試当日に至るまでのプロセスの踏み方を含めて、総合的人間力を試すものだった。
だが、ルールは変わった。
作戦立案は、塾のカリキュラムによって不要になった。自らに打ち勝つ意志力の代わりに、度重なる塾のテストが受験生を勉強へとかき立ててくれるようになった。より効率のよい戦い方が模索されるうちに、本来受験生自身に求められていた能力の大部分を塾が肩代わりするようになったのである。
“結果にコミットする”スポーツジムに似ている。トレーナーが完璧なメニューを用意して、それをやり切るまで追い込んでくれるシステム。トレーナーの指示にいちいち自分の考えなど差し込まなくていい。ただ従順に言われたとおりにやっていれば、筋肉がついたり、減量できたりする。
その結果、受験生に求められるものとして、大量の課題をこなす処理能力と忍耐力だけが残った。余計なものとしては、与えられたものに対して疑いを抱かない力が求められるようになった。
受験システムそのものが、塾に完全に分析され攻略されている。その状況を私は「塾歴社会」と称し、2016年「ルポ塾歴社会」(幻冬舎新書)を著した。塾歴社会の波は、学校教育をものみ込んでいった。塾さながらの受験対策を行う学校が大学進学実績を上げるようになっていった。
しかしそんな時代の流れを知ってか知らずか、恐ろしいほどのマイペースさで独特の教育理念を守り続ける学校がある。私立武蔵高等学校中学校(以下、武蔵)である。「いまどきこんな学校があったのか!?」と驚くほどの実態を拙著『名門校「武蔵」で教える 東大合格より大事なこと』から一部抜粋する。
【武蔵の日常】数学教員の教えは「やぎになれ!」
武蔵の校内にはやぎがいて、自ら望んでやぎの世話をする生徒たちがいる。それを束ねるのは数学の教員である。曰(いわ)く「ひつじになるな、やぎになれ!」。
「羊は、いつもおどおどしていてまるで自分の意志がないかのように仲間に追従して行動します。羊が大衆迎合の象徴とされるゆえんです。しかしやぎは、信念も主張も強く、信頼する飼い主に対してさえも角を向けることを辞しません。権力や社会に対する批判精神を育むことは教育の最大の目的のひとつです。
時代の趨勢に押し流されたり、根拠のないデマゴギーに翻弄されない知性を身に付けさせたりすることは、学校の重要な役割です。そうすると学校には、やぎがいたほうがいいということになります」。
数学の教員らしい「やぎの証明」である。
■生きるために必要な力を
【武蔵の日常】きのこを見つけると社会の成績が上がる!?
武蔵では、校内できのこを見つけると、なぜか社会の成績が上がるといううわさがある。うわさの火元と考えられる社会科の教員を直撃した。
「おいしくて大きなきのこをたくさん見つけてきたら、それだけで偉いじゃないかという価値観が、私の中にあります。本来生きるためにそういう力は必要だし、そのためには、自然環境全体をとらえて、系統立てて分析して、食べられるものがありそうなところを推測できなければなりません。
それができること自体すごいと思うのです。校内にも食べられるものがいろいろ自生しています。きのこのほかにも、山芋とか木の実とか。本当は『大きい芋を取ってきたやつが勝ち!』みたいな成績付けをしたいのですが、実際にはそんなこと、いくら武蔵でもさすがにできません(笑)」
いや、怪しい。実際はやっているかもしれない。
そのほか、詳細は割愛するが、見出し的に列挙する。
・英語の授業のはずなのにずっと工作
・入試でミカンが配られて食べちゃった!
・2カ月間ひたすら岩石を削る理科の授業
・生徒が教員に花を持たせる「接待サッカー」
・小惑星探査機「はやぶさ」を生んだ名物部活
・タヌキの糞を拾い続けるという青春
・「ゆとり教育」は「全学校武蔵化計画」!?
・長髪に髭がトレードマークの校長は芸大出身
校内には、雑木林があり小川まで流れている。生徒たちはこんなことを言う。「武蔵生って時間にルーズなんです。それってキャンパスのせいじゃないかと思うんです。川も流れてて、ほのぼのしてて。もうなんか『時間? 何それ?』 みたいな感じになるんですよ」。校則らしい校則はなく、制服もない。
まるで塾歴社会に残された「最後の楽園」のようではないか。
■共通一次導入の時点で「塾歴社会」の到来を予測
1学年160人程度の小規模校。受験進学校らしからぬおおらかな校風。大学入試対策を無視したかのような重厚な教養主義。にもかかわらず、多い年には86人もの東大合格者を出した。その存在自体が、過熱する受験業界へのアンチテーゼであった。
ところが1990年代以降、東大合格者が減少し始めた。「もはや御三家にあらず」といった批判を受けた。理由には諸説ある。しかし私は「塾歴社会が蔓延していく中での構造的な宿命だったのだ」と考えている。
そのことをいち早く予言していた人がいる。現在の武蔵の校風を築き上げたといわれる大坪秀二・元校長である。私が「塾歴社会」と表現した状況を、共通一次が導入された1979年の時点で、「入試歴社会」という言葉を用いて予見していた。校長の職を退いたのち1987年には、東大合格者79人という実績がありながら次のような危機感を表明している。
「この20年余の間に進行してきた『受験競争社会』の激化は、今後の展開も含めて最大の問題点であるでしょう。(中略)競争原理一本で成り立っている大学進学制度が長期にわたって固定されているために、その影響が年を追って下へ下へと及んだことや、産業構造の変化などの結果として、大企業を先頭に系列化された企業中心社会が固定化しつつあることなど、原因をあげればいろいろあるとは思います。
(中略)この国の教育社会の中で、武蔵がどのような役割を負わねばならないかについても、(中略)今後は、もっと明確な哲学を持つ必要に迫られるのではないかと考えます。(中略)武蔵自身の目標が個性的であればあるほど、制度上・経済上の新しい障害が生じる可能性も大きいかも知れません」(「同窓会会報」掲載「校長退任の挨拶とお礼」1987年12月1日)
塾歴社会で“勝ち組”になるために必要なのは、大量の課題をこなす処理能力と忍耐力、そして与えられた課題に対して疑いを抱かない力である。武蔵の価値観とは見事なほどに真逆である。
■「武蔵vs塾歴社会」、勝つのはどっちだ?
大坪元校長は2015年秋に亡くなった。『大坪秀二遺稿集』の冒頭には、大坪校長のこんなつぶやきがつづられている。「世の中の流れで、多くの高等学校は受験勉強に力をいれていて、みんな、向こう岸へ行ってしまった。こちらの岸に残っているのは、もう、武蔵だけなんだ。だから、1校でもいいからこちら岸に呼び戻さなければならないんだ。何年か前まではこちら岸に数校残っていたんだが、残念なことだ」。
大事な生徒たちを川の向こう岸に渡してなるものか。ダークサイドに堕(お)ちてなるものか。気づいてみれば、武蔵は一人「塾歴社会」に抗う存在になっていた。あるいは、その結果として醸成された、物事を○か×か白か黒か右か左か快か不快かだけでとらえて思考停止する「ポストトゥルース」的風潮に歯止めをかける最後の砦といってもいい。
すなわち「武蔵」とは「塾歴社会」および「ポストトゥルース」の対義語である。この文脈が理解されず、武蔵への評価がさらに落ちるのなら、それは武蔵にとっての危機である以上に、社会全体にとっての危機である。
幸い、この数年、武蔵の受験者数は増加傾向にある。塾が発表する合格偏差値も上がっている。だが、たった160人が毎年武蔵を巣立っても多勢に無勢。世の中の流れは止められまい。武蔵は高い理想を掲げたまま討ち死にするのか。そして世界はますます混迷を極めるのか……。
私はそうは思わない。
■追い風も吹いている
私の知るかぎり、志を同じくする学校はほかにもある。表面的に武蔵よりは器用に立ち回っているだけで、本質的には武蔵的なものを捨て去ってはおらず、あわよくば失地回復の機会をうかがっている学校は意外にたくさんある。武蔵は決して孤独ではない。
追い風も吹いている。大学入試改革の議論である。単純化・固定化し、攻略され尽くした大学入試のルールを作り直そうとする試みだ。それがどんな形で結実するかということより、そういう問題意識が広まること自体が武蔵的なものにとっての追い風となる。
いま、それぞれの学校が、武蔵的なものをあと2割、いや1割でもいいから多めに表明すれば、きっと世の中のルールは変わる。学校だけではない。社会のメンバーの一人ひとりが武蔵的なものの価値を認めれば、きっと風向きは変わる。
そのあかつきには、武蔵の「変わらない勇気」を最大の賛辞をもってたたえたい。「教育改革」とは、まったく新しいものをゼロから作り上げることではなく、実はこういう足がかりがあってこそ始まるものなのかもしれない。